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「法科大学院不合格体験記」の記事一覧

法科大学院不合格体験記

私は2004年4月に法科大学院一期生として入学することを志していたが、意に反して、受験した大学院にことごとく不合格になってしまい、入学することができなかった。2005年度の入試において、前年から数えて延べ5回目の受験で、ようやく引っかかったような次第である。

幸い、最終的には一年遅れで入学できることになったし、「浪人」していた一年間の間には、仕事上ではいろいろとおもしろい経験をしてきたので、「浪人」したこと自体は私の人生にとってマイナスではなかった、と思っている。
しかし、一般的にいって「浪人」することはあまり好ましいことではないし、特に、私は新卒というわけではなく、むしろそれなりに年を喰っているので、一年のロスというのは決して小さいものではなかったとも思える。

「法科大学院とは」で書いたように、法科大学院入学に当たっては全国一斉の適性試験を受験しなければならないわけだが、私は、この段階では結構上位にいて、その段階ではよもや全部不合格になるとは想像だにしていなかった。私が不合格になったのは、多分に油断と、受験戦略上の失敗というものが大きく影響していると自己分析している。

このページでは、法科大学院を志す方に「他山の石」としていただくべく、あえて恥を忍んで、私の不合格体験を公開する。法科大学院を目指す読者諸氏が私と同じ轍を踏まないことを希望するものである。

私の失敗(1)--油断と慢心

私が法科大学院受験に失敗した第一の理由は、第一の関門である適性試験において、そこそこいい点数を取ってしまったことにより、「失敗はないだろう」という油断と慢心があったと思われる。

法科大学院入試元年である、2003年に受験した適性試験は、日弁連、大学入試センターとも、上位数パーセントくらいの位置につけており、リサーチ判定もほとんどの大学院でトップクラスであった。この段階で、合格は堅いと勝手に思いこんでしまった。

今思えば、二次試験もあるし、合否判定で適性試験がどの程度重視されるかということは各大学院によってまちまちである。にも関わらず、一次試験の成績だけでいい気になってしまっていたのは全くお目出度い話であった。

ただ、一応弁解しておくと、最初の入試ということで、確たる情報というのは世間には何もなく、誰も彼もが手探りの状態であった、ということもあった。その中で、とりあえず形になるものとして最初に出てきた適性試験の成績がよかったことで、少々浮かれてしまったのも致し方がない面もなくはなかった、と思う。「適性試験神話」という魔物に、私は見事にとらわれてしまったのである。

私の失敗(2)--受験校選択の誤り

(1)で述べたように、適性試験の出来にいい気になっていた私は、「合格」という観点に着目したならば、受験校の選択も誤っていた面があったと思う。

法科大学院入学を志し、情報収集に努めていた私は、最終的に北海道大学を第一志望に据えた。学習環境が整っていると感じられたことと、小論文の成績や、適性試験の成績の上位層を合格させる「顕著枠」という制度が存在しているということが理由である。

この「顕著枠」とやらは、実は曲者であった。まず、各枠の大きさはきわめて少なく、小論文や適性試験の出来が受験者中最上位に近くなければ合格できない、というシステムであった。次に、適性試験「顕著枠」については、仮に適性試験が満点だったとしても、二次試験の小論文で大失敗すると、合格にはならないという制度であったのだが、「適性試験だけで合格できる」という少々誤った情報が流布した結果、全国から満点に近いような適性試験猛者が続々と出願して、私くらいの、そこそこいいくらいの成績だと、お話にならなくなってしまっていたということである。

私は、適性試験には自信があった上に、小論文にも得意意識があったので、北大は堅い、という思いこみがあったのであるが、実際のところ、適性試験も小論文も、中途半端な出来であって、合格には至らなかったのである。全くの誤算であった。

もっとも、北海道大学は是非にも行きたい大学院であったので、その観点からは誤っていたわけではない。ただ、私にとっては北海道大学はまことに険しい道のりであり、その後も散々苦労させられるのであった。

私の失敗(3)--小論文に対する無策

(2)で書いたように、私は小論文には妙に自信を持っていた。そして、北海道大学の場合、合格には少々足りなかったものの、成績開示の結果によるとそこそこいい位置につけていたことも事実である。

私は、「念のため」、「滑り止め」くらいのつもりで、岡山大学にも出願していた。岡山大学は、二次試験が小論文のみであり、適性試験、小論文、学部成績などをバランスよく評価する合否判定をとることを表明していたので、北海道大学が「万が一」だめであったとしても、岡山については不合格はありえない、と思っていた。

・・・・甘かった。全くもって岡山大学には失礼な考えをもっていた。岡山大学の小論文は、私にとっては超難問を用意して私を迎えてくれた。

まず、字数が中途半端でなく多かった。3時間で3570字。考える時間抜きに分速20文字弱を要求する膨大な量である。つぎに、出題意図が全く見えてこない。問題文を何度読んでも、何を相手が要求しているのかさっぱり見えてこない。これは今までになかったことである。

結局、訳のわからないことを書いて字数だけ埋めて、終了。結果は推して知るべしである。

あまりに腑に落ちないので、後に、予備校主催の合同説明会に参加していた岡山大学の教員に、出題意図を聞いてみた。少なくとも第一問については実はそんなに難しくはなかったのである。第一問は、問題文が前後で論理矛盾を来しており、そのことが説明できればOKであったそうだ。

その程度のことが認識できなかったようでは、私の小論文に対する自信とやらは、まことに儚い、砂上の楼閣のようなものであったといえよう。何らかの対策を行うべきであった。

私の失敗(4)--「顕著な社会実績」とやら

北海道大学、岡山大学と立て続けに不合格を食らった私は、最後の頼みの綱に急きょ出願した大阪大学も不合格となり、「ロー浪人」の不遇をかこつこととなった。二年目の受験である2004年、適性試験は幸いにも昨年よりさらに上位につけることに成功した(もっとも、二択までは絞ったものの最後はヤマカンでマークした分が4点分当たったのが大きかった)のであるが、安心感はゼロ、であった。

二年目の受験戦略としては、やはり行きたいという気持ちが強かった北海道大学を第一志望に据えた。そして、北海道大学は、前回は一般選抜と同じ日程だった特別選抜が、一般選抜と別日程で9月に実施されるということになった。

私は、ささやかながら、大学院在学中も含めて数年間の社会経験がある。一方、北海道大学の特別選抜は、法学系以外の大学院修了者と並んで、「顕著な社会実績」を有する者を対象にする枠があった。

(3)で触れた、予備校主催の合同説明会には、北海道大学も参加していたので、私の社会実績で出願が可能であるかを質問した。その結果、「顕著」か否かは、結局のところ、合否判定において実質的な判断をする、ということであり、形式的には大学院入学時において2年以上の実務経験があれば出願は可能である、と確認がとれた。

前回受験した際には、不覚にも、特別選抜の出願資格に該当しているということに思い至らなかったのであるが、せっかく受験資格があるならば、北海道大学の受験機会が二回に増えるということになるから、思い切って出願してみた。

結果、やはり不合格。特別選抜は小論文と面接試験が行われたのであるが、面接の場で、「あなたの社会実績は顕著とはいえないのではないですか?」などといわれてしまい、アウト、である。なお、募集定員20に対して、合格者は16しか出なかった。「顕著」性の判断は、厳格に行っており、私のような自称「顕著な社会実績」は、端からお呼びではなかったようである。何か、騙されたような気分である。

エピローグ

かくして、ことごとく合格に見放されてきた私であるが、5回目の受験である北海道大学の一般選考で、なんとか合格者の一人として拾い上げられた。結局のところ、一年遅れとはいえ第一志望の大学院に入学できることになったのは幸いであった。

しかし、(2)で述べたように「顕著枠」制度をとる北海道大学に、私はどの枠で合格したのであろうか。客観的に一番可能性が高いのが、適性試験の枠である。しかし、(4)で触れたように、今回の適性試験は、ヤマカンのマークで4点もうけたので、ひょっとすると私が北海道大学に合格できたのは、ヤマカンのおかげということにもなりかねない。最後の最後で、私はツキに救われたのかもしれない。そのへんは、成績開示を請求すれば判明する事実である。

(追記)今日、請求していた成績開示の書類が届いた。やはり、適性試験枠での合格だった。予想通り、私はヤマカンに救われていたのだった。(2005.3.17)