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2005年02月21日

エピローグ

かくして、ことごとく合格に見放されてきた私であるが、5回目の受験である北海道大学の一般選考で、なんとか合格者の一人として拾い上げられた。結局のところ、一年遅れとはいえ第一志望の大学院に入学できることになったのは幸いであった。

しかし、(2)で述べたように「顕著枠」制度をとる北海道大学に、私はどの枠で合格したのであろうか。客観的に一番可能性が高いのが、適性試験の枠である。しかし、(4)で触れたように、今回の適性試験は、ヤマカンのマークで4点もうけたので、ひょっとすると私が北海道大学に合格できたのは、ヤマカンのおかげということにもなりかねない。最後の最後で、私はツキに救われたのかもしれない。そのへんは、成績開示を請求すれば判明する事実である。

(追記)今日、請求していた成績開示の書類が届いた。やはり、適性試験枠での合格だった。予想通り、私はヤマカンに救われていたのだった。(2005.3.17)