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2009年6月18日

いわゆる臓器移植法の改正案について

一転、臓器移植法案「A案可決」賛成263票」(ヤフーニュースより)

本日の衆議院本会議で、いわゆる臓器移植法の改正案のうち「A案」が可決されました。

以下に、現行法と「A案」を対比します(現行法は法令データ提供サービス、A案はhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g16401014.htm参照)。



現行法 A案
6条1項  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。
6条2項  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたの身体をいう。
6条3項  臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。  臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。
 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。
 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。
6条の2 (新設) (親族への優先提供の意思表示)
 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。
7条  医師は、前条の規定により死体から臓器を摘出しようとする場合において、当該死体について刑事訴訟法 (昭和二十三年法律第百三十一号)第二百二十九条第一項の検視その他の犯罪捜査に関する手続が行われるときは、当該手続が終了した後でなければ、当該死体から臓器を摘出してはならない。  医師は、第六条の規定により死体から臓器を摘出しようとする場合において、当該死体について刑事訴訟法 (昭和二十三年法律第百三十一号)第二百二十九条第一項の検視その他の犯罪捜査に関する手続が行われるときは、当該手続が終了した後でなければ、当該死体から臓器を摘出してはならない。
17条の2 (新設) (移植医療に関する啓発等)
 国及び地方公共団体は、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解を深めることができるよう、移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思の有無を運転免許証及び医療保険の被保険者証等に記載することができることとする等、移植医療に関する啓発及び知識の普及に必要な施策を講ずるものとする。


この問題についての私の基本的な立場は、脳死臓器移植はドナーとなる人の人権が守られるとは言い難いため、反対というものです。

脳死臓器移植の基本的な矛盾点は、「脳死」という概念を使うことによって今までならば死人として扱われなかったドナーを死んだことにして、その生命の犠牲という不利益の下にレシピエントが臓器提供を受けるという利益を享受するという点にあると考えます。ドナーの生存とレシピエントの生存は不可避的に対立関係に立たざるを得ません。

そして、「脳死」が人の死かという議論においてはドナーの生死が問題となりますが、脳死臓器移植における議論では、レシピエントたる難病の患者が「移植できなくて困っている」という側面が紹介されることが多く、ドナーの被る不利益は等閑視されているように思えます。

もちろん、難病に苦しむ人を救う手だてがあるのならその手だてを講じたい、というのは自然な気持ちなのかもしれませんが、そのために、誰かの死を前提としなければならないということは、本来すごく後ろ暗いことである筈なのに、その後ろ暗さがあまり問題とはなっていないように思われます。


今回衆議院で可決された「A案」は、レシピエントの利益を追求するあまり、「人の死」という死生観に関わるデリケートな問題について「脳死は人の死である」という方向から強引に枠をはめ、結局ドナーの生命に対する権利を軽んずるものと言わざるをえません。

以上、とりあえず問題提起的に。


(追記)

短答式の成績通知、ようやく届きましたよ。自己採点通り、基準点以上であることが確定。

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