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2011年3月の記事一覧

2011年3月 1日

いろいろと特別法が・・・・

民事裁判修習も後半戦に突入しました。

民事裁判では様々な類型の訴訟が取り扱われているので,見たこともないような特別法が関係することも多いです。

守秘義務の関係で,具体的に何の法律か,ということは書けませんが,「これって何?」みたいなのがあまりに多いです。

世界は広い。

2011年3月 2日

憲法も使うよ

司法試験の受験科目には,公法系として憲法がありますが,司法試験に合格して司法修習に行ったら,「憲法なんか使わない」と先に合格した友人などに聞いたことがありました。

騙されてた。弁護修習でも,民事裁判修習でも,憲法問題出てきたワ。

・・・・ということで,今日は憲法の教科書に出てきてもおかしくないような事件に遭遇。法科大学院の授業で結構細かく教えていただいた判例をいろいろ思い出しつつ,法廷に立ち会いました。

2011年3月 3日

桃の節句

冬型の気圧配置で,当地札幌は猛烈な雪模様となりました。

今日は午後に,民事問題研究と称した勉強会。突き詰めて考えると難しい問題でした。

桃の節句ということで,去年ははまぐりの吸い物やらちらし寿司やら準備したのですが,今年は手抜きして出来合いのもので済ませてしまいました。娘は巻き寿司とかを喜んで食べていたのでよかった。

明日は自由研究日で,登庁の必要なし。娘を耳鼻科に連れて行きます。

2011年3月 4日

娘は鉄分多め?

娘はどうも,電車や汽車が好きなようで,地下鉄に乗ったら電車に「ばいばい」したり,こどもちゃれんじのDVDで江ノ電が出てきたら妙に食いついたり,と,電車や汽車に格別な反応を示しています。

特に反応がいいのが,ユーチューブのこのビデオ。


列車プラス「アンパンマン」というコンボで,大興奮。

娘は鉄分が多いようです。

2011年3月11日

東北地方太平洋沖地震

裁判所で記録読みをしていると,にわかにガタガタと建物が揺れだしました。大変長い揺れで,どこか遠くで大地震が起こったと直感しましたが,果たして,三陸沖を震源とするマグニチュード8.8の巨大地震でございました。

大津波の津波警報が発令され,東北の太平洋沿岸をはじめとして各地に巨大津波が押し寄せたようです。また,東京電力の福島第1原発が冷却が出来ないという危機的状況に陥り,政府から原子力緊急事態宣言が出される事態にもなっています。余震と言うには大きすぎる地震が頻発しています。

あまりにも巨大な災害で,全体像が掴めませんが,現段階でも相当数の犠牲者が確認されているようです。

犠牲者の皆様に哀悼の意を表するとともに,今後何をすべきか,何が出来るかなどを考えたいと思います。

2011年3月12日

肝をつぶした

昨日の太平洋沖地震の報道が続いていますが,夕方に飛び込んできた,福島第1原発1号炉の爆発には肝をつぶしました。ついに,チェルノブイリ級の惨事が発生したか,と。

夜になって,ようやく格納容器は無事であったことが報告され,やや安堵しましたが,依然,厳しい状態であることは間違いありません。何といっても,日本の原発で初めて炉心溶融が起こったことは間違いないようですから。炉心に据え付けられている燃料集合体の一部が高温で溶け始めるという,最悪の事態に陥っているわけです。

海水注水による冷却を決断したということ。冷却と閉じ込めがうまくいくことを切に祈っています。

被災地の凄惨な状況も報道されています。被災者の皆様にお見舞い申し上げます。

2011年3月15日

落ち着かない

落ち着かない感じのまま今週の修習がはじまりました。被災地では修習休みになっているところもあるようです。

先月末にあった問研起案の講評が,昨日今日にある予定でしたが来週に延期。

口頭弁論期日を傍聴していましたら,一方当事者が出頭してこなくて弁論終結となった事件で裁判官が,「地震の影響も考えられますから,弁論再開の申し立てなどあったら柔軟に対応します」という旨相手側に断っていました。


太平洋沖地震の地震・津波による被害の全体像が徐々に明らかになってきました。この高度情報化社会で,何日も連絡が取れていない自治体があるなど,およそ想像もつかないことですが,その想像もつかないことが現実になっているところに今回の災害の桁外れの規模の大きさが象徴されているように思います。

幸いにして被災を免れた私たちとしては,とりあえずは義捐金出すくらいしか出来ることはなさそうです。そう考えている人も多いと思われ,コンビニの募金箱に札が何枚も入っているのを見ました。


福島第1原発は,1号炉に続き,3号炉,2号炉,4号炉の順で相次いで爆発や火災。現場では必死の作業が続けられていることと思います。すでに一定量の放射能は放出されていますが,何とか踏みとどまってほしい。

2011年3月17日

こうなることを予見していたかのような

福島第一原発の状況は悪化する一方です。何とか,持ちこたえてほしいと祈るような気持ちでいます。

しかし,大地震に原発が遭遇すれば今回のようなことになるであろうことは,以前からも指摘されていたところであり,全く意外なことが起こったという感じはしません。

当ウェブログで紹介した記事から,今回の事態を予見するかのような内容を含むものを紹介。


志賀原発2号機運転差し止め訴訟で原告側勝訴」(2006年3月24日付エントリー)


このエントリーは,日本の裁判史上で初めて,原発の運転差し止めを認容した地裁裁判例(高裁で逆転敗訴)を紹介したものです。

判決文のうち,今回の事態と関連のありそうな部分を引用します(傍線引用者)。

「(2)上記のように,被告が,本件原子炉が基準地震動S1,S2を超える地震動を受けたときの解析をしていないため,その場合にどのような事象が生じるかは推測の域を出ないが,可能性としては,碍子破損等による外部電源の喪失非常用電源の喪失,配管の破断,シュラウドの破断(前記第4の3(1)ア(ウ)a(b)で認定したとおり,シュラウドは基準地震動S1,S2に耐えることを健全性評価の基準としている。),冷却材の減少,喪失ECCSの故障,反応度の上昇等が考えられるし,最後の砦であるスクラムの失敗も考えられないではなく,炉心溶融事故の可能性も反応度事故の可能性もあるというべきである。いずれにしても,被告が運転時の異常な過渡変化や事故の評価の前提としている機器の単一の故障や単一の誤操作に止まるものではなく,様々な故障が同時に,あるいは相前後して発生する可能性が高く,そのような場合,被告が構築した多重防護が有効に機能するとは考えられない。そうすると,その場合,本件原子炉周辺住民が許容限度を超える放射線を被ばくする蓋然性があるといわざるを得ない。」

ほとんど,福島第一の現状に当てはまるのが怖いですね。


浜岡原発訴訟判決」(2007年10月26日付エントリー)


次のエントリーは,浜岡原発訴訟についてのもの。静岡地裁は、「東海地震だけでなく東南海・南海地震と連動した場合にも耐震安全性が確保されて」いると認定しましたが,それに対して石橋克彦・神戸大学名誉教授のコメントがおそろしい。

「判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っている恐れが強い。」

勿論,この判決は浜岡原発に対するものであり,福島第一原発には関係ないのですが,今回,自然によって証明された事態が私たちを大変な目に遭わせているということを想起すると,石橋克彦教授のコメントは正しいものであったといえます。


繰り返しになりますが,何とか持ちこたえてくれることを切に祈っています。

2011年3月27日

いろいろ

しばらくバタバタしていて当ウェブログも更新できませんでした。地震のことを中心に,この間考えているようなことをいろいろと。


今回の太平洋沖地震で亡くなった方が1万人を超えることが確認されたとのこと。圧倒的な被害の大きさに驚くばかりです。11日の地震発生直後は,すぐに大津波警報出たから,多くの人は無事に逃げきれたものと思いこんでいたのですが,こんなに多くの人が津波に巻き込まれるなどとは想像もしませんでした。ご遺体の収容も思うように進んでいないようで,本当に心が痛みます。避難所などの状況も過酷を極めるようで,心よりお見舞い申し上げます。街中の募金箱にいくばくかのお金を入れる程度のことしかできていないのですが,また出来る限りのことをしたいと思っています。


福島第一原発の状況もなかなか好転しないまま,放射能の流出がいつ止まるのかもわかりません。朝日新聞の記事ですと,原子力安全委員会の24日段階の推計でも3万テラベクレルは出ているようですね。ベクレルだと何となくピンと来ないので,昔のキュリーに直すと,1キュリーが370億ベクレルなので,数十万キュリーは漏出したことになります。どの核種による値かは記事からはよくわからないのですが,信じられないような大量放出。また,作業員の被曝事故も発生したとのことで,暗澹とした気持ちになります。札幌でも水のまとめ買いをしている人を見るようになりました。


5月の司法試験で,仙台会場が使えなくなってしまい,仙台で出願した受験生は会場変更の手続きが行われているようです。該当の受験生でご覧になっている方がいるかどうかわかりませんが,札幌会場の印象についての過去記事を以下に示します。多少の参考にでもなればいいのですが。


試験会場としてのSORA」(2009年3月20日付エントリー)


そんな落ち着かない気分の昨今ですが,明日で民事裁判修習が終わり,検察修習に移行します。ホンマ,司法修習はあっという間に過ぎていきますね。刑事系は苦手意識があり,やや不安です。

(2011.03.28追記)
当エントリー中,原発からの放射能放出について「どの核種による値かは記事からはよくわからないのですが,信じられないような大量放出」としたくだりがありますが,読み返してみると「何かよくわからないけど怖ろしい」みたいに危機感を煽るような趣旨に捉えられてしまう危険性があるように思えてきました。

私が当エントリーで言いたかったのは,いかなる核種によるものであれ,数十万キュリーの放出という事態そのものが,これまで国内で発生した原子力事故とはあきらかに桁違いの規模であり,信じられないようなものである,ということです。この点は,報道されている内容に照らして間違いのないところであろうかと思われ,この点についてよくわからないまま書いたということではございません。朝日新聞の元ネタ記事でわからないのは,あくまでも「核種が何か」ということです。

以上,念のため若干補足しておきたいと思います。

2011年3月28日

民事裁判修習終了

早いもので,今日で実務修習第2クール目の民事裁判修習が終わってしまいました。

裁判所が,従前想像していたよりはるかに自由闊達で風通しのよい雰囲気であることに驚きました。この雰囲気は,おそらく裁判官の独立という特質に由来しているように思います。

私はいわゆる「司法の危機」の時代を十分に知っているわけではないのですが,あのころのことを書いた書籍から想像される,窒息しそうな雰囲気というのは少なくとも感じることがありませんでした。

修習内容としては,大規模訴訟から個人の訴額の小さい訴訟に至るまで,いろいろな類型の事件を見ることが出来たのは弁護士志望の私にとっても貴重な経験でした。


配属部の裁判官をはじめ,書記官・事務官の方々にお世話になりましたことを感謝したいと思います。

2011年3月30日

検察修習開始

昨日3月29日から,検察庁での修習が開始になりました。

最初の一週間強は導入修習ということで座学中心になります。あと,来週には全国一斉起案と称して,即日起案があります。

前にも同じようなこと書きましたが(リンク),今まで修習で行った弁護士事務所・弁護士会や裁判所と雰囲気がかなり違います。一言で言ってしまえば体育会的なのですが,あと,修習もシステマチックな感じで,かなりやることがきっちりと決まっているようです。

しばらくは講義講義,そして起案という感じで大変そうです。

2011年3月31日

退職・退園

妻は大学卒業以来,途中産休・育休も挟みつつ仕事を続けてきましたが,年度末の今日で退職。ワタクシの就職に伴って転居することが予想されるため,身軽になるため。

結婚以来,今まではワタクシが食わせてもらっていましたので,これからはワタクシの禄で飯食って頂きましょう。今までより多少慎ましくせなアカンけど。とにかくお疲れ様でした。

妻の退職に伴って,娘も保育園を退園。職場に付属している園だったので。小さい園でしたが,一年間,保育士さん達にかわいがって頂き,また同年代の子たちとの付き合いや,家にいたのではなかなか出来ない遊び(園はH大の近所だったので遊び場には事欠かない)をしたり,楽しく通っていました。最近は熱も余り出さず,体もすっかり強くなりました。お世話になった方々,ありがとうございました。

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