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2009年9月 1日

投票用紙の交付ミスの背景

そういえば、日曜日の選挙では、小学生が大人と間違われて投票用紙をもらって投票したり、初めての国政選挙の投票だったはずの21歳の人が子どもと間違われて投票用紙もらえなかったり、といったことがあったようですね。


<衆院選>11歳児が投票...誤って用紙交付 大阪市西淀川区
<衆院選>21歳を子供と間違え用紙渡さず 神奈川・平塚」(いずれもヤフーニュースより)


この件について町村先生がブログで、「投票入場券とか、見ないのか?」という指摘をなさっていて、ワタクシもそうだよなぁ、と思ったのですが、その件に関するコメントで、選挙のフローが場所によって結構異なるということが分かりました。


election:日本では見た目で投票資格を判断するの?」(Matimulogより)


ワタクシの投票した札幌市内の某投票所では、

1.受付→ハガキは見せるだけ
2.投票券(ハガキ)と名簿のチェック→ハガキは返して貰う
3.小選挙区の投票用紙の交付→ハガキには印が付けられ返して貰う
4.小選挙区投票
5.比例区と国民審査の投票用紙の交付→ハガキ回収
6.比例区と国民審査の投票

というフローで投票が行われていたのですが、場所によっては上記の2.辺りでハガキが回収されてしまい、あとは目視でチェックするだけというフローになっているところもあるそうです。そして、ミスが起こったのは、おそらく早い段階でハガキを回収してしまうフローの投票所だったのでは、という推測になっています。

なるほど、そういう背景があったのか。

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コメント

ある投票所で運営していました。いろいろありますが,今回いままでの選挙に比べて投票に来る人の熱気と人数が違いました。選挙にトラブルはありますが,ミスをなくさなくてはいけません。大きな子供が投票所に来る事が間違いです。あのハガキは入場券なのです。また,はっきり投票すると意思表示しないと人数が人数なんで怒って帰えられたら最低限のスタッフでしか運営していないので対応できません。
私見ですが,民主主義には双方の努力によって保たれるのではないでしょうか。
子供と間違えられ怒るのは論外です。選挙は公務という説もありましたっけ。

>晴雨様

コメントありがとうございました。

子どもの頃のことを思い起こすに、両親の投票についていった時は外で待っていた記憶があります。
大阪の件は、11歳なら分別もつくころですから、外でその子が待っていたならばそもそも起こりえない間違いですよね。

神奈川の件は、怒って帰った人が大人げないと確かに思います。
選挙権には公務的側面があるのは間違いないと思いますので、選挙権を行使する国民が一方的に受益的な立場にはないというのはその通りかと思います。

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