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2009年6月 5日

続・冤罪の恐ろしさ

足利事件、菅家さん釈放=再審開始決定前では初-逮捕から17年半ぶり」(ヤフーニュースより)

昨日の話ですが、1990年に起こったいわゆる足利事件で2000年に無期懲役の刑が確定し、服役中だった菅家利和氏につき、東京高検は刑事訴訟法442条但書の規定に基づき刑の執行を停止し、菅家氏は釈放されました。


刑事訴訟法442条
 再審の請求は、刑の執行を停止する効力を有しない。但し、管轄裁判所に対応する検察庁の検察官は、再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる。


足利事件は、いわゆるDNA鑑定の証拠能力を認めた事例として刑訴法の判例百選に載っている事件ですが[最決2000(H12).07.17、刑訴百選第8版73事件]、TKCのLEX/DBで改めて原審[東京高判1996(H08).05.09]・原原審[宇都宮地判1993(H05).07.07]の判決文を見てみると、少なくとも本件で菅家氏の有罪を認定する証拠とされたMCT118DNA型鑑定の結果は、同一のDNA型、血液型の出現頻度が1000人中1.2人程度と極めて高く(足利市のウェブサイトによると、事件のあった1990年の10月1日時点で足利市の人口は約16万7千人だったので、単純にこの頻度で計算すると事件の当時市内に同じ型は200人ほどいた計算になる)、この程度で菅家氏と事件とを結びつけたのはずさんな判断だったのではないかと言わざるをえません。なお、上記DNA型鑑定以外の物的証拠は、被害者のパンツに付着していた陰毛一本と被告人が任意に提出した陰毛二〇本との間に「高い形態的類似性が認められ」ることのみです(前掲宇都宮地判参照)。

要は、同じDNA型の人は市内にも200人くらいしかいないし、(敢えて下品な単語を使うけど)チ○毛の形も似ているからこいつが犯人だ、と判断したっちゅうこっちゃな。アホくさ。


で、結局、最新の技術で細かく調べたらDNAの型が違ったということで、検察は事実上冤罪を認めて昨日の釈放に至ったわけですが、そもそもは上記のような全くアホくさい理由でたやすく無辜を有罪としてしまった裁判所が悪いわけで、また、菅家氏を犯人と決め込んだ当時の捜査当局が悪いわけです。

「十人の罪人を逃すとも一人の無辜を捕らえるなかれ」という法諺がありますが(英語だと"Better ten guilty escape than one innocent suffer"というようです)、誤って無辜を捕らえたがために真犯人を逃すということになってしまったのが本件ということです。そして、17年間、うまいコーヒーひとつ飲めないような獄中に無辜をつないだということは、償っても償いきれることではないでしょう。

つくづく、冤罪は恐ろしく、絶対にあってはならないことであるということを再確認しなければなりません。

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