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2010年1月20日

砂川政教分離訴訟で違憲判決

<政教分離訴訟>「市有地に無償で神社」は違憲 最高裁」(ヤフーニュースより)

以前にも当ウェブログで紹介した、北海道砂川市の2つの神社を巡って憲法の政教分離原則が争われた裁判で、最高裁は空知太神社に市有地を無償で使用させていることについて憲法違反と判断しました。他方、市有地であった富平神社の敷地を町内会に譲渡したことについては合憲と判断しました。

判決文はこちら(最高裁のサイト。PDF)
空知太神社
富平神社

違憲判断をした空知太神社の方の判決をみますと、「社会通念に照らして総合的に判断すると,本件利用提供行為は,市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり,ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付与にも該当すると解するのが相当」としており、政教分離の憲法判断においてこれまで判例で用いられてきたいわゆる「目的効果基準」から一定離れた判断をしているように思えます。

ただ、いわゆる目的効果基準をとった津地鎮祭事件最判[1977(S52).07.13]も、今回の空知太神社最判と似たような言い回しがまくらにあって、最高裁としては今回のは判例変更ではないとしています。なお、これまでの「目的効果基準」と今回の最判の基準の関係は、藤田宙靖裁判官の補足意見に詳しく書かれており、そこには「過去における当審判例上の文言を金科玉条として引用し,機械的に結論を導くようなことをしてはならない」という法学徒にとってはありがたい(耳の痛い)お言葉も書かれています。

参考として、津地鎮祭最判の言い回しを以下に抜粋。

「政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえない」
「わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」
「(憲法20条3項)にいう宗教的活動とは、・・・・そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」

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